にいがた庭園街道の歴史背景
日本の原風景が残る、
里山や棚田の美しい景色。
越後・新潟県の内陸部の山裾には古くから人が住み、
西側に広がる潟・湿地を避けた水ぎわに〝道〟ができました。
山裾から日本海まで果てしなく広がる潟・湿地を、
この地の人々は、水と闘い、災いを受けながらも、
水の恩恵を生かして耕作地・居住地へと創りかえていきました。
そして、新潟が誇る「米」をはじめとした
豊富な食材を育む「恵みの大地」が生まれました。
やがて、この地を開拓した人々から、
全国的な大地主(豪農)が誕生していきました。
山裾の道、ノスタルジックライン(国道290号)には、
豪農たちが、富を地域に還元したと伝わる
「日本庭園・伝統建築」が今も残っています。
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